おじさんの山旅4


 トピック(思いつくままの感想など)


2015.7.20    2015年前半の締めくくり
 山の行先に大きな変化はありません。が、2014年の頻度では行けなくなりました。理由は3・20頃の風邪をこじらせ気管支炎になったため、4月は2回と激減した。この気管支炎は本日時点でも継続しており、だましだまし山行を続けています。前半の山行は39回と40回を割り去年に比し5回くらい減っています。効き目は?ですが、山行の帰りの飲み会の参加は見合わせています。当面は週一の山行を目標に継続していきます。

 なお、その他のトピックは「わたしの活動日記」を参照ください。

2014.12.24   2014年の締めくくり
 今年の山行の特徴は@ 大阪、京都西山、京都東山、比良が増え、湖南が減少 A大阪は生駒や北摂、西山は西山古道周辺、東山は大文字山など、比良は比良岳周辺などが目立つ B回数的には2013年57回、2014年が88回 と1.5倍の勢いでした。
 関西の至るところにようやく行きだしたということでしょう。回数の増加は山に専念すべくいろんな参加行事を止めたこと(老人大学同窓会離脱、公園等整備ボランティア離脱など)が大きいと思われます。


2013.6.17    2013年前半の締めくくり
 去年の年末くらいから膝を痛めその治療で概ね1か月強は完全休養となり、休養後もやさしい山、週一などの制約を設けたので、結果的には京都東山や湖東などの低山が多くなった。良く言えば、低山のコースを十分に検討できたこと、車でアプローチの検討ができたことがあげられるが、冬山はなし、湖北や比良などの厳しい山はなしということで、全体としてはさみしい半年の総括となった。
 本日時点で依然として正座はできない状態であるが、山で特に異常を感ずることはない。当分は週一から週1.5くらいのペースにして様子見というところです。

2012.12.29   2012年山行の締めくくり
 KKGに入会したこともあり、KHY企画も含めると、京都の西山(5回)、東山(24)、北山(10)が増えてきた。京都で概ね40回(芦生や朽木を除く)となる。また、KHYで六甲(3)にも行き出したこともあり、その反動で鈴鹿の回数が落ちてしまった。とはいえ、年間12回ゆえ、月に1回は鈴鹿に行っていたことになる。鈴鹿でなく京都に行き出した理由は「ひとり山行で行ける山」、「会社OBや老人大学OBのハイク企画で行ける山」を考慮したからである。鈴鹿は先の2点の視点ではハードルが高いと思っています。
 遅まきながらコンパスの使い方をマスターしたことは大きな前進。但し、現在地がわかるほどのレベルではないので、自慢のできるレベルとは程遠い。現在地がわかっていて、@行く方向 A向こうに見える山の特定 の2点はできるであろう。相変わらずのGPS依存です。

2012.9.21 最近の山行
 KKGに入会したおかげで京都北山と西山の山行が増えてきた。正直、山の良さは現時点は?ですが、いろんなひととの出会いは楽しい。ところで、いま、私自身が企画しているのはLCC例会、会社OB例会のほとんど、野木鳥例会のほとんど、回り持ちはNCML例会。属しているグループはKHY、KKGのふたつ。他で参加しているのはKHYメンバーが企画した個人山行(ふたりのKさん企画がほとんど)。7.31のトピックで述べたが、この夏は個人山行含め、わたしの企画山行とKKG参加が多かったため、ほとんどが低山であった。一部で無茶暑もあったが、ほとんどは木陰のため、それなりの山行を楽しめた。この教訓は来年にも生かせるだろう。


2012.7.31 2012年半年の締めくくり
 ひとりでの活動、KKG行事への参加、KHYのKさんの企画への参加が特徴です。ひとりでの活動はリストアップしていた山にひとりでぶらっと出かける旅、KKGの行事は京都西山・東山が多い。Kさん企画は芦生周辺の旅。夏場も低山に行くというのが大きな相違点。低山とはいえ、木陰は意外に涼しいというのが感想。本日も比叡山に出かけたが涼しい山行でした。
 KKGに入会したことをきっかけにして、他のリーダーとの出会いもあり、従来のお付き合いとは違ったお付き合いが出来てきた。これからが楽しみだ。加えて、日本山岳会というどでかい組織を意識できるようになってきた。

2012.2.2 1年の締め括り
 ちと遅くなったが、2011年の山歩きの総括をしたい。高島トレイルは冬の乗鞍と朽木の場伐採のがれの栃の木の巨木が印象的、比良はリトル比良周辺の山にこだわって行き、湖東の低山はレイカディア大学のクラスのハイクコースに選んだ関係でまんべんなく出かけた。鈴鹿はKHYの例会で、どちらかといえば、マイナーなところに行っている。
 おととしは82回、去年は66回ゆえ、回数は大幅ダウンとなっているが、先の大学の授業日のためであろう。おととしに比し、福井の山と京都北山、湖南が減り、湖東と比良が増えている。今年は大学と会社OBでハイク担当ゆえ、低山は去年同様行く予定である。また、KKGという団体にも加入したので、幾分行先に変化があることも期待。また、KHYのふたりのKさんの企画にも参加したいので、今年も大いに楽しめそうである。

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以下 2009年から2011年

2009.11.10
 ようやく「おじさんの山旅4」のスタートの見通しがたった。それほどの知識もないのに、ここまでもってこれたのが本当にうれしい。問題はこのHPの内容だが、じっくり考えて構成を練っていきたい。

2009.12.9    カメラの話題
 どこかで話題として取り上げたテーマなのだが、6代目のデジタルカメラを購入した記念に再度、これまでの経緯を振り返ってみた。自慢できるのは初代がカシオの25万画素のカメラであったこと。まだ、それほど普及していない時期ゆえ、型落ち品であったが、4万くらいしたと記憶している。自慢できないのは、ほとんど「AUTO」で使ってきたこと。5代目のPENTAX100Dは「AUTO」でありながらいろんな設定ができたので、本当に「AUTO」を重宝してきた。が、6代目のカメラ(CANON EOSkiss x3)は「AUTO」の中身は変更できなかったようだ。ろくにマニアルも読まないで「AUTO」で使用したものだから、好みの画像が得られず、思い切りマニアルを読む事態となった。結局、設定の変更可能な「プログラム」を選択して使用を再開した。その成果はこれから。
 なぜ、6代目を購入する羽目になったのか。なにを思ったのか、これまで意図的に避けてきた会社OBのカメラサークルの行事に参加した。メンバーの皆さんの撮影に対する意欲にほれぼれとし、かつ、彼らの作品も見て、自分もやるかと思ってしまった。PENTAX100Dは600万画素だ。とりあえず、A−4の写真用紙にその行事の成果を打ち出してみた。それなりの出来栄えにすっかり自己満足し、A−3に対応できる1500万画素を購入したいとやたら思い込んでしまった。PENTAXの1500万画素がほしかったのだが、PENTAXはそれ相当(低価格の汎用品)の新製品は出していなかった。K20D(1500万画素)やK200D(1000万画素)も検討したのだが、販売を終えている製品にもかかわらず、それほど安く買えるわけでもなかった。この事情から、値段も納得のいく、ダブルキット(望遠ズームと広角ズーム)のCANON kiss x3に決めたという次第
 100Dは子供達に進呈した。25万(カシオ)、80万(CANON)、120万(FUJI)、300万(コニカミノルタ)、600万(PENTAX一眼レフ)、6代目で1500万。厳密には5.5代目で800万画素(オリンパス)の防水仕様のコンデジを購入し、水に浸かる前提のときはこのカメラを使用。山で写真を撮って、パソコンで見て自己満足することのみが楽しみだったゆえ、出費は許されるでしょう。

2010.1.25    写真の印刷
 会社OB会にいわゆる「写真クラブ(実際は異なる名称)」がある。年に数回写真展を開催している。これまで出展したことはない。その理由はあるのだが、恥ずかしくて具体的には書くことができない。自分として、良かれと思っていたことが迷惑をかけていたというお粗末な顛末を体験している。
 さて、出展にあたり、山の新緑や紅葉の写真を印刷してみると、まあまあ、それなりの作品に仕上がっていた。が、曇り空の雪景色の写真は雪がグレーっぽくなり、ディスプレイ上の白っぽいカラーとは異なったものとなった。ディスプレー上ではそれなりの画像ゆえ、修正しようにも無理がある。カメラもプリンターもキャノンゆえ、質問してみた。併行して、ネット検索でも調べてみた。まだ、結論が出せる段階ではないが、カメラではホワイトバランスと絞りの補正(プラス側)、プリンター側ではドライバーでの色補正が必要ということがわかってきた。但し、わたしの場合は、ディスプレー上はほとんど問題ないので、プリンター側での色補正にポイントがあるようだ。最終的な結論は実績ができてから紹介したいと思います。

2010.2.8    写真の印刷 その2
 結論をいえば、写真屋さんに任せるのがBESTということ。が、どの写真屋さんに頼むかは実績を積んで決めるしかない。これが、いろんな意見を聞いた結論となりそうだ。但し、わたしはまだ、写真屋さんを利用していないので、あくまで推論に過ぎないのですが。
 1月25日以降の出来事でもっともびっくりしたのは、「印刷用プロファイル」の変更と「印刷インキ」そのものの変更の2点。印刷インキの変更の意味は純正インキと他社品の相違や他社品間の相違のこと。事実のみ言えば、印刷用プロファイルは数点の選択ができ、確かに、色目は変わるなと理解したのだが、それ並もしくはそれ以上に劇的に変化が見られたのは、違うメーカーのインキを交換してから。印刷用プロファイルの選択やインキの選択などを悩むのなら、専門家に任せるのがBESTだなと結論付けた。写真屋さんの評価は追って。

2010.3.20    近くの山・低い山
 この1ヶ月は天気が不順であったとか、いろんな事情があったのであろう。いわゆる低山の山行が目立った。金勝アルプス、飯道山、阿星山、山本山、賤ヶ岳、七々頭ヶ岳、比叡山など。低山とはいえ、いずれも興味をもって登ることができたので大いに満足している。湖南の山・金勝アルプス、飯道山、阿星山は登山道以外にそれぞれの林道も散策したので地理的な理解も深まった。湖北の山・山本山、賤ヶ岳、七々頭ヶ岳は気になっていたが、なぜか行けていなかった代表格の山だ。特に、山本山から賤ヶ岳への縦走は琵琶湖や余呉湖を身近に見ながらのハイクであり、滋賀県民として楽しい道だ。比叡山そのものは800m強の山で低山とは言えないのだが、今回の行ったコースは標高は低いながらも、あまり人が通っていないと思われるコースであり、地元のハイカーとしては是非行ってみたいというコースであった。神宮寺山山頂、神宮寺山から大宮林道へのコース、大谷川コース、四ツ谷川から弁天堂への道、根本中堂から北谷経由で大宮林道、馬ヶ背コースで西教寺など。それでも、比叡山にはまだ行けていないコースもある。残念ながらひとりでは自信がないので山友さんの助けを借りながら、ひとつづつ攻略していきたいと切に思っています。

2010.4.11    古い写真の整理
 この1ヶ月間、写真の整理(短期的には本棚の整理)を実施した。20箱X5冊が4箱x5冊となった。2割に減らしたことになる。そもそも20箱は数年前の整理で概ね半減させたものゆえ、当初に比し1割になったということ。ほとんどが単身赴任時代に撮影したものであり、北関東の山の写真が大半を占める。1割くらいは家内と旅行(東北など)した記念写真である。残した写真は人物が写っているものと、いうなれば、お気に入りの写真。山頂からの記念写真や花の写真などはよほでのことがない限り、すべて廃棄した。趣味とはいえ、結構な浪費であった。現在はデジカメゆえ、カメラ代金とメモリ代金くらいが出費となるが、相当なコストダウンになっている。一回の山行で数本のフィルムを使っていた。枚数はいまと同様と思うので150枚くらいだったろう。
 古い写真の整理の他、本の整理も進めている。写真集など高価だが、見ていないような本も含め、処分した。これからもいろんなものの処分を続けていく予定だ。身辺整理(長期的には)だ。
 実家に残されてものを処分(数年間継続して実施)していると、いかに不用品(ほとんど廃棄)が残されているか、本当に感心する。自分が消えるときにはこのような不用品(ほとんど廃棄されるだろう)はできるだけ減らしておきたい。

2010.6.5    写真の印刷 その3     古い写真の整理 その2
 宿題となっていた写真屋さん(Kさん)での印刷をトライした。結果は×(パソコンのディスプレイ上の画像の色との比較)。このことを写真屋さんに聞くと、追加補正しかないとのことであった。当然、手動補正ゆえ割高となる。
 プリンターが故障した。これ幸いと、A-4印刷の最高マシンに更新した。このマシンにはプロが使うソフトが入っているので、写真の印刷に大いに期待した。この結果も一次評価(オーソドックスな設定)では×。インクは純正ゆえ、これ以上のインクはない。なお、ソフトは「Easy-PhotoPrint Pro」と「Digital Photo Professional」の組み合わせである。
 結論をいえば、気に入る色(パソコンのディスプレイ上の画像の色)を出すには写真屋さんであろうが、家でやろうが、手動補正しかないということ。

 プリンターの更新に伴い、スライドの整理を実施。スライドを見ながら、不要分は廃棄し、これはと思うもの(ほとんどが子供の写真)は印刷して残すことにした。問題はネガである。写真屋でベタ焼きするには量が多いので、家で処理したいのだが。更新したプリンターでネガを扱うことはできる(画像の取り込みと印刷はできる)のだが、時間が相当かかる。ベタ焼きができないかとメーカーに聞いたがダメ。ということで、ネガの保存箱(ミカン箱でたとえたら2箱相当)を納戸から取り出した状態で作業停止状態が続いている。さあ、どうするか。

2010.6.27    本HPの増量申請
 本HPのサイトの管理者の忍者に増量申請し、許可を得た。100Mから200Mに容量がアップした。当初の申請は却下された。写真に広告が入るように組んでいなかった(問い合わせして、写真と広告との組み合わせが必要と判明)からであるが、広告逃れとかの意図は全くなく、従来と同じ手法で作成していたからにすぎない。1週間ほどその対応に追われた。一方、問い合わせへの回答がくるまでは、却下の理由が理解できなかったので、このままでは忍者での継続困難と早とちりして、他のフリーのHPスペース提供者ともコンタクトし、サイトも確保した。その後、忍者での継続可能とわかったので、新規に確保したサイトはタイムリー性を排除し、これまでの山行記録の集大成をゆったりペースでやっていこうと思うに到った。ホームページの構成も一新して遊びも入れていこうと思っている。どうなることやら。

2010.7.6     無料HPについて
 「おじさんの山旅2」を某社のサイトで作成していましたが、去年のある日より運営方法が変更のため、編集不可(わたしの能力の限界を超えた)となり、編集できないことをHP上で訴えることもできず数ヶ月たってしまいました。最近、編集ができることを知り、「おじさんの山旅2」を休止したことをお知らせすることができました。が、いわいるトップページではなく、リンクしたページでしか編集ができませんでした。トップページの編集をヘルプ記載事項を参考にして何回もトタイしたのですが、現時点ではまだできていません。ヘルプも英文ゆえ、理解不足のためだと思います。日本向けのヘルプが本当に望まれます。時々、その某社の翻訳機能を用いて理解しようとするのですが、まず、理解できません。
 一方、世の中に、英文のソフトも結構あるのですが、よく使用されているソフトは親切な方が日本向けに分かるように説明されています。本当に助かります。感謝感謝です。FTPS対応のソフト「File Zilla Client」が好例です。 

2010.8.2     当分、山行は中止です
 先週初めに盲腸炎以来の数十年振りの手術を経験した。持病対応の手術である。1週間後のいまも正常とは遠い状態で、自宅での静養が継続しています。お盆明けには完治すると読んでいますが、現時点は本当にそうかなという半信半疑の状態です。完治後なら、いろんなことが言えるのですが、この状態では言葉も浮かんできません。

2010.8.15      静養が継続しています
 予想通り、いまだ正常な体になっていません。とはいっても、自宅療養スタート時に比べると格段によくなっているので、そろそろ1時間を越える散歩しようかなという心境になってきている。今週末は湿原の計画があり、参加したいのだが、無理しないでおこう。当面マイペース散歩、今週末はマイペースハイクとしよう。

2010.8.22     1ヶ月振りの山行
 きのう、きょうと湿原の予定(NC例会とSH例会)をいずれもキャンセルし、本日、体調のチェックも兼ねひとりで比叡山に。体調チェックを比叡山ですることが定例化してきた。中尾坂ー行者道ー八王子山の予定であったが、飯室不動を通過するとき、右手に尾根に上がる道を偶然見つけたので、もともと尾根道が気になっていたという背景もあり、コース変更。鉄塔のあるところまでは巡視路もあり、いい道だったのだが、鉄塔を過ぎると、下草はないものの小枝が多く張り出したコース(踏み跡はないに等しい)となり、腕は擦り傷だらけとなる。疲れがでてきたころ登山道の休憩所が左下に見えたので休憩のため登山道に下りる。どうみても元気がなさそうなので、登山道を進むことにした。相当なゆったりペースで進む。行者道についてから早い昼食を摂ることで元気がでて、霊園から東に進む林道(以前に見つけ気になっていた道)の散策をすることにした。標識のとおり、行き止まりとなり戻る。中尾坂の北の尾根についた林道であるが、道らしきものが尾根上に続いており安楽律院近辺まで下りているかも。帰りは行者道をやめ、大宮林道を進む。三石岳への道があるかもしれないと、きょろきょろしながら行ったがなさそう。上(三石岳に行く林道から大宮林道側に下りる踏み跡あり)から思い切って下りることをトライするしかなさそう。5Hrの歩きに耐えたので体調はまあまあと判断。

2010.11.1     体調がいまひとつ
 10月の初めに風邪気味の体調となってから、1ヶ月となった。10/11、10/20と幾分調子がいいということで峰床山と白倉岳には行ったが、20日以降どんどん悪化し、25日には1年振りで医者に行く。10月初めから今日に到るまでのキャンセル山行は数回。健康薬品で体の抵抗力が増したと喜んでいたのだが、すんなりとはいかない。体調が悪いといって家にこもっていたわけではない。10月から「滋賀県レイカディア大学」に入学し、これまで7日間も通学している。この大学のことはいずれ説明するつもりです。本日時点明らかに体調も良くなっているので、7日の御池岳で復活の見込み。

2010.12.31   1年の締めくくり
 ことしは去年同様83回の山行だった。概ね週に2回のペース。ことしの特徴は鈴鹿と京都東山が多い。つぎが、福井と湖南。鈴鹿はほとんどがSHのIリーダーの行事の参加による。毎回その季節なりの山行であり、楽しむことができる。京都東山は比叡山と大文字山、湖南は音羽山周辺と阿星山・飯道山。比叡山、大文字山、音羽山に頻度が多いのは「ルート図作成」(おじさんの山旅5)が原動力になっている。低山に多く行きだした理由をもっと遡ってみると、老人夫婦の行ける山の探索があげられる。福井の山(赤兎など)もそうだ。阿星山・飯道山も低山探索のひとつであったが、たまたま、SHのKさんの山行に行きだしたことから、Kさん企画の阿星ー飯道縦走に参加。この縦走は身近な山の別の楽しみ方を改めて教えてくれた。
 来年はボランティア活動開始の年でもあり、余呉トレイル(道づくりなど)への参加が多くなると予想している。他、音羽山のルート図完成、上記Kさん企画の奈良や三重の山行への参加、会社OB会のハイク参加、老夫婦のハイク、野木鳥のハイク、鈴鹿の継続など忙しい年になりそうです。

2011.4.6   パソコンの切り替え作業
 このHPは画像を多く扱っているので、古いパソコンでは相当に遅い。特に、画像処理のソフトとHP作成のソフト(読み込みが特に)は思い切り時間がかかる。ということでメモリーが従来の4倍のノートパソコンを購入し、HPについては切り替え工事がようやく完了した。画像の扱いについてはソフトの変更もあるので目下勉強中ゆえ、切り替えは1か月後くらいの予想だ。

2011.8.16    朝の散歩
 いつもなら夏は体重が減るのだが、今年はアルコールを制限なく飲んでいる所為か腹まわりがだぶついてきた。これはいけないということで、数日前より1Hrウオーキングを実施している。概ね8000歩くらいの歩きとなる。だぶつきが納まるまで継続の予定。このアルコールについては、おまけの報告がある。先日、会社の納涼祭があった。OBのブースもできたということで何年振りかの参加となった。いろんなひとと再会でき、調子に乗ってバンバン飲んでしまった。このおかげで帰宅後、大いに吐いて(数十年振り)しまった。この後遺症は3日ほど続き、体重も1Kgは減った。残念ながら、腹回りの様子は変化がないので、どこで1Kも減ったのか??だ。


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